ベイラが去った後、部屋は雨音の静寂さだけになった。ルージェンは、小降りになった雨音をベッドに横になって聞いていると、心が癒された。心を癒してくれる音色は・・・幼い頃ノルディーの港町で聞いた波の音、そして、アザンが父王の墓の前で弾いてくれた鎮魂歌。アザンが弾いてくれた曲の数々。嵐の夜に歌ってくれた音程が外れた歌・・・。思い出して、また吹き出したルージェンはしかし、この先アザンと二人きりで旅を続けるとなると、女としてアザンと一線を引く自信がなかった。

 アザンは余り男を感じさせない若者だった。アザンは現れるだけで、優しい雰囲気を身の周りにまとっていた。男のくせにしっとりとした色気があった。子供みたいに邪気がない所があったり、反面、旅芸人として苦労してきたせいか、抜け目のない賢さもあった。

最初はルージェンの方がアザンを守ってあげなければ、と感じていた。それが嵐の夜に逆転した。アザンの冷静な判断力や頼もしい対応に、女のようにわがままに甘えてしまった。いくら、熱で自制心が緩んでいたとはいえ。

アザンを前にすると、ルージェンは素直に女になれた。・・・彼が私を大切にしてくれるから。

ルージェンは王子として育てられ、リーダーとしての立場を期待され、男達に頼ったりすることは考えられない人生だった。育ちのせいだけではない。ルージェンは女の肉体を持つ者として男から見られるのが嫌だった。愛らしい少女らしさを誉められたり、成熟してからも、女性らしい体の丸みを男から見られることを嫌悪した。

何故なのか。

昔、晩酌の後、就寝が早い父王のベッドに一緒に入り込んだ時、「パーシア、余のことを愛しているであろう」と、抱きしめられた。酔った父に、抵抗するのを押さえつけられ、口づけされた時の恐怖と嫌悪は忘れられない。もっとも、2歳と3歳年下の妹達ときたら、アンジリーカは酔った父王に、「キスしてもいいけど約束よ」とプレゼントをねだったり、アンシアは、「お父様、アンジリーカと私、どっちがお好き?」と父王の腕に自分の両腕を絡ませて甘えた。

ある夜、母のパルミが寝室に入って来た時だ。酔った父が「余の可愛い愛妾達を見てくれ。皆、余に夢中なのだ」と言うと、パルミは、「よろしいこと、国王様、年増のわたくしより、さぞ、愛おしいことでしょう」

 酒に酔っていても、父は妻の機嫌をとることは忘れていなかった。

「余は浮気はしたことがない、お前だけだ、パルミ。そうであろう?」

両親は三人の娘が見ている前で、長い口づけを交わした。幼いアンシアが言った。「随分長いキスね。息が詰まらないの」

パルミは三人の幼い娘達を振り返って言った。

「子供は寝る時間よ。大人の邪魔をしてはいけません」そう言って、三人の娘達は、呼ばれた侍女達に、子供部屋に連れて行かれたのだった、。そんな思い出も、ルージェンには、男女のいやらしさにしか感じられなかった。

 自分には、愛らしい女らしさが欠落しているのではないか?

  体が弱く、外で走り廻ることも出来なかった、双子の兄、ルージェンにパーシアは聞いたことがある。

「ルージェン、シャリムの姫君やジェンナの姫君、一体婚約者は誰になるの?」

幼い兄は言った。

「僕は素直な子がいいよ」

幼いパーシアは言った。

 「まあ、そんな女の子つまらない、まるで、サミュンみたい。いつも人の後にいて、大人しくて、何考えているかわからない」

兄が言った。「僕はサミュンが好きだよ、パーシア。あの子は僕が言うことに一切逆らわない。あの子なら僕を裏切らないと思えるからね。口うるさくて、生意気なお前達とは大違いだ」

兄が7歳で死んだ時、嘆く両親やルージェンと同じくらいサミュンは哀しんでくれた。

 6歳の時、パーシア王女として母と初めて婚約者のバルモ王子に会うため、ミシュナ国へ行った時のこと。

 バルモは7歳で、父ルジン王や双子の兄、ルージェンと同じく、時に胸が締め付けられるように痛む発作があるため、行動が制限されていた。

バルモも母も知らなかったが、ミシュナ国の貴公子達に囲まれて悪戯されたことは、嫌な思い出だった。年の割りに体の成熟が早いパーシアを、バルモの従兄弟の男の子達は追いかけ回して、胸を触ってきたりしたのだ。

酔った父に押し倒されて接吻された時も、ミシュナの貴公子達に悪戯された時も、誰にも言わなかった。幼いパーシアにとってそれは、とても恥ずかしいことで、口に出して言えることではなかった。しかし、酒の酔いにまかせた父王の行き過ぎた愛情表現も、幼い貴公子達の行き過ぎた行為も、アンシアやアンジリーカなら、旨くあしらったのだろうか?ことさら胸に秘めてしまう自分の性格が、問題をさらに深く傷にしてしまったのだと、今ならわかる。

自分が女になると、男に侵入されるような恐怖感や、男の獣のような性欲への嫌悪感が、自分に女らしさを拒否させたのだろうか。男と同じように馬を乗り回し、剣や弓でも負けない男性へのライバル意識が王子としての現在の自分を造ったのだとルージェンは思う。

 

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