朝の6時前から周囲の声でアザンは目が覚めてしまった。アザンが眠っているベッドの周りで子供達が走り回ったり、枕投げをして甲高い声を張り上げている。アザンが毛布の中に顔を突っ込もうとした時、羽枕で思いっきり顔を叩かれた。
「何をするんだ」
アザンが抗議すると、子供達の笑い声が弾けた。
「アザン、何でこんなとこに寝てんの」少女がアザンのベッドに飛び乗って、自分の身体を乗せてきた。
「おい、起床時間は6時だろう、もう少し寝かしてくれよ」
「あと5分しかないよ、アザンのねぼすけ」
少女以外にも何人かアザンが眠るベッドの上に乗ってきたので、子供達の体重でアザンは起きざるを得なかった。
「まったくもう・・・」
半眼状態のアザンの両手を取って、子供達が洗面所へつれていく。当直のクレアが階段を上がって来た。クレアは尼僧達の中でも最年長の尼だった。
「さあ、顔を洗って着替えてね。皆、食堂へ行く時間よ」
子供達の洗顔を手伝っている間に、アザンの目は覚めてきた。尼僧達は朝4時に起きて30分の祈りの後、一時間半かけて病人や子供達の食事の準備をするのだった。マージルは朝食は摂らない。朝は弱いからという理由で、彼女に決められた勤務時間の9時前まで自室で過ごしている。本当はうるさい子供達が苦手なのだ。
クレアは子供達が全員起きて洗顔にかかるのを見届けると、一階へ下りて行った。アザンも子供達に手を引っ張られて階段を下りた。
子供達は階段を下りる時だけ静かだった。病人が一階で休んでいるので、静かに下りないと、食事抜きになるのだ。
一階に着いてからアザンはルージェンがどうしているか気になった。
「ちょっとクレアに伝えないといけない事があるから」アザンは子供達の手を離して、病人達の療養所になっている部屋の扉に入ったクレアを追った。扉の中へ入ると、毛布にくるまって体を隠しているルージェンの傍にクレアが立っていた。
「クレア、頭が痛い。お願いです、もう少し寝かせて」
「そんなわけにはいかないわ、ルージェン。病気ならまだしも、子供達の手前、あなただけ寝坊なんて許しません。マージルから聞いたわよ、昨日ワインを一本開けたんですってぇ。何て人なの。出荷用のワインに手をだすなんて。二日酔いで起きれないなんて通用しないわよ」
「気持ちが悪い。せめて、何か薬を飲ませて」
クレアは無言でアザンが立っている扉の方へ近づいて来た。アザンも、クレアが扉を開けて廊下の方へ顔を出しても何も言えない。
「パジル、バラミ、ルージェンを起こしてくれない?」
クレアが声をかけると、二階から下りてくる子供達の表情が変わった。
「ルージェンがそこにいるの?」
子供達が3、4人集まって来て療養所の部屋を覗きこんだ。
「ルージェンがあそこで寝てる」
歓声をあげながらベッドに駆け寄った子供達は、ルージェンの髪の一部がはみ出した毛布を引き剥がした。子供達に羽枕でルージェンの身体は叩かれ出した。
アザンは僧院で朝食を摂るのは初めてだ。当直のクレア以外の尼僧達は、病人の食事介助で忙しく働いている。ルージェンは僧院で子供達と同じ朝食を摂っていたのだろうか、アザンが考えている隣でルージェンは、二日酔いのせいで、朝食の粥を一匙もすくわず、閉眼したままだった。
食事を摂る手を止めて、クレアが言った。
「ルージェン、起きているわよね」
「はい、もちろん」
閉眼したままルージェンが答えた。
「クレア、ルージェンの病気はい重いの?」
子供の一人が聞く。
「大丈夫、すぐ治る病気よ」
「どんな病気なの」
「あなた達に移ってはいけない病気。しばらくルージェンに近づかないでね」
王子は吐き気止めの薬を貰えるのだろうかとアザンが心配していると、
「さあ皆、食べ終えたわね、食後の祈りを捧げるわよ」
短い祈りの後クレアが立ち上がった。「お皿を洗い場へ持って行ってね」
ルージェンの隣の座っているアザンにも声をかけた。
「アザン、悪いわね、ルージェンの皿も片付けてくれるかしら。それから、彼を起こすために、成人式のためのリハーサルを聞かせてみましょう」
アザンが返事をする前に、洗い場へ向かう子供達にクレアが手を叩いて注意を促した。
「はい、みんな。皿を置いたら、アザンの指示に従って。今朝は特別。ルージェンの成人式のために皆が練習しているコーラスのリハーサルをしてみましょう」
「クレア、ルージェンを驚かせるんじゃなかったの?内緒で練習してたのに」
子供の一人が声を上げた。
「いいのよ。今ルージェンを驚かせてあげてね」
アザンの隣でルージェンが片手で額を押さえた。
「アザン、指揮を。子供達をよろしくね」
アザンは皿を二人分持って流し場へ向かった。子供達がアザンに声をかけてくる。
「秘密のプレゼントなのに、今聞かせちゃうの?」
「リハーサルを一回してみた方がいいね。そうしたら、本番に向けてもっとよくなるように、直した方がいい処がわかるから」
アザンは食堂のテーブルを一部動かすように指示して、練習の時に背の高さのバランスがとれるように振り分けた通り二列に子供達を並ばせた。
片手で額を押さえたままのルージェンを一瞥してからクレアは大きく拍手した。
「さあ皆、ルージェンに聞かせてあげて」
アザンが手を上げると、子供達の視線がそこへ集中した。最初にソプラノで歌う子供達に向けて手を振り下ろすと、食堂に清涼な声が響き渡った。ソプラノのパートが終わって、皆に合図すると、子供全員の合唱へ移る。ルージェンが額に当てていた手を下ろして、真剣な目で子供達の姿を見つめた。
突然曲が終わった。顔は無表情だが、ルージェンは大きく手を叩いて言った。
「素晴らしい、最高のプレゼントだね」
子供たちの顔に誇らしげな喜びの表情が浮かんだ。
「でも、何で突然終わるの?」
「次のソロのパートが誰になるか決まっていなくて」
子供の一人が答えると、皆笑い出した。
クレアも笑いながら言った。
「アザン、ルージェン、早く城へ帰らないと、授業に遅れるわよ」
二人は馬車で城へ帰ったが、ルージェンは今日も授業に出て来なかった。