城の中庭に、陸軍学校の生徒達と狩人達がルゴス卿、ライモン、ルージェンを囲んで集まった。軍総指揮官ルゴス卿を前にして生徒たちは緊迫した表情で立っていた。ルゴス卿は傍らに立つ息子のライモンが、森の見取り図を指しながら作戦の説明をするのを、注意深く聞いていた。

 ライモンは、猟師が昨日猪を見つけた場所を二手に別れて挟み撃ちするように説明していた。小さなモルドーの街では、ジェンナ国人の血を半分引くライモンの容姿は物珍しかった。しかしライモンの屈託がなく自然な態度は、すでに陸軍生徒や猟師に受け入れられていた。自分の意見を述べると、ライモンは集まった皆に意見を求めた。

 ライモンは生徒達30人余りと猟師達の名をすでに頭に入れて、一人一人に声をかけることを努めていた。18歳の陸軍生徒達や村の狩人達の中には、ルージェンよりも体格がいい男は沢山いた、

 しかし、ライモンほど鍛えられた体格の者は居なかった。

 短い打ち合わせが終わると、それぞれ馬に乗って森へ向かった。猟師が猪を見つけた後追い立てる指揮はライモンが、追われた猪を迎え撃つ指揮はルゴス卿が執った。

 ルージェンとアザンを乗せた白馬のブルトーは、ライモン率いる生徒達の後に付いた。今日はいつもより早く角笛が鳴った。猪が見つかったのだ。

 ライモンが馬を走らせる速度を上げた。その時、ブルトーの目の前を野兎が木陰から飛び出してきた。驚いた馬は後足で立ち上がった。ルージェンの後ろに乗っていたアザンは馬から降り落ちた。

 「ルージェン、アザン、大丈夫か」

 前方からライモンの張りのある声が届いた。

 「大丈夫。先に行ってくれ、アザンの様子は私が看る」

 ブルトーの足元で上半身を起こしたアザンの肩にルージェンは手を置いた。

 「アザン、大丈夫か、どこが痛む?」

 「左足首をくじいたようです。あと、少し足の擦り傷も。大したことはありません」

 ルージェンはブルトーの鞍にくくりつけてある薬袋の紐を外した。アザンの服を脱がせて、足の様子を確認しながら、すり傷には塗り薬をつけた。

 「この近くに小さな川が流れていた筈だ。そこまで行って、足首を冷やそう」

 王子の手を借りて、アザンは再びブルトーの背に乗った。少し行くと、小川が木々の間を流れていた。ルージェンはそこに布を浸すと、アザンの足首に水で冷えた布を巻きつけた。処置をするル-ジェンの手はなめらかな女の手だった。

 「王子、狩の邪魔をしてしまいました。申し訳ございません」

 「森でこんなにゆっくり過ごすのは久しぶりだ。こんな日があってもいいではないか、アザン」

 ルージェンはブルトーの手綱を放して愛馬を自由にさせると、アザンの近くに自分も座り込んだ。

 アザンは意を決した。ルージェンの前に両膝をつくと、頭を地に付けんばかりにして言った。

 「失礼ながら王子、申し上げます。人の手は男か女かごまかせません。王子、貴方は女性であられます」

 森に住む鳥のさえずりだけが響く静寂が続いた。

 「何故、女帝におなりにならないのですか」

 「アザン、女帝になれば、婿を迎えなければならない。国同士の政略結婚による求婚者達からな。異国の王子を婿にとれば、それがわが国の政治への干渉にもなる。それは出来ない」 

 「ならば、王女として、従兄弟のライモン様と婚姻されても良いのではありませんか」

 自らの意に反する言葉を述べるアザンは、哀しみの余り声が震えないように細心の注意を払い、顔は表情を見られないように、地に伏せたままだった。

「ライモンにはふさわしい花嫁がいる。私よりも、ずっと彼にふさわしい花嫁が」

 どこか異国の王女との婚姻の話でもあるのかと、アザンは考えた。

 「私は前、お前に言ったように、この国の指導者にはならない。私は死者の国へ行く。戻って来たら王族から離脱する。それは、他の王族達も承認してくれた」

 アザンは思わず顔を上げて愛しいルージェンを見た。

 「王子、お願いがございます」

 「何だ」

 「どうか、私を供に死者の国へ連れて行って下さいませ」

 「私は一人で行く」

 「しかし、一人旅は危険です。獣や、追い剥ぎが」

 「そんな危険は自分で対処できる」

 「王子、私は西カリムの生まれです。王子が西カリムの魔女に会いに行かれるのなら、私が案内できます。それに、私には怪我や病気をした時の薬草の知識は勿論、道に迷った時の方角や、天候を読み取る力が経験上ございます。磁石が狂ったり、失くされた時のことをお考えください」

 「アザン、お前は死者の国のことなど考えず、好きな娘と家庭をもてば好いのだ」

 「私の望みは、王子のお傍にいることでございます」

 アザンを見つめるルージェンが、静かに、表情も変えずに言った。

 「アザン、お前は私を好きでいてくれるか」

 「私にとって王子は誰よりも、大切な方でございます」

 「それを聞いて嬉しい。アザン」

 無表情だがルージェンの陽に焼けない白い首元から頬が薄く紅潮した。

 「ではテストを始めるか」

 そう言ってルージェンが立ち上がらなかったら、アザンは嬉しさで我を忘れてルージェンを抱き寄せるところだった。 

 「テストに合格したらお前を供にしても良い。ここから城へ帰れるか、アザン。無論磁石は見ないでだ。お前はこの森には二回しか来たことがないが、私にとっては幼い頃から遊んできた庭のようなものだ。私とブルトーなら城へ帰れる。どうだ、アザン、お前はこの森から城へ帰れるか」

 そう言うとルージェンはブルトーを呼び寄せるために、口笛を吹いた。合格しなければ、ルージェンの側には居られない。もしルージェンが死者の国から帰って来られなかったら、永遠の別れとなる。どうしても合格しなければとアザンは緊張した。

 この森まで馬を走らせて30分ほどだった。アザンは懐中時計で現在の時刻を確認してから、森の中から空を仰いで太陽の位置を確認し、自分が今いる方角を知った。西南方へ向かえばモルドーの街が見えて来る筈だった。

 ルージェンに代わってブルトーの手綱を握った。アザンの背後にルージェンが座った。西南方へ向けてブルトーを走らせると、森を抜けた。地平線には長く続く平原しか見えない。空模様が怪しかった。

 「王子、おそらく日が暮れる頃には、この辺りは驟雨が来るでしょう。早くモルドーへ帰らなければ」

 「何故わかる?」

 「雲の形でわかります」

 さらに馬を走らせると、地平線に尖塔が見えた。アザンは安堵した。

 「王子、ほら、城の塔が見えます」

 背後のルージェンに声をかけた。

 「どこに」

 「ほら、あそこに」

 ルージェンはアザンが指示した方角に目をこらしたが、「見えぬ、お前は随分目がいいのだな」と言った。

 「王子、西カリムの魔女に会いに行かれるのはいつですか」

 「予定では成人式が済んだ後。すぐに出る」

 陽が傾かないうちに僧院へ着いた。僧院では、尼僧と子供達が一緒になって果樹園で果物の収穫を楽しんでいた。馬から降りる前にルージェンが言った。

 「お前は私の大切な友人だ。これからは、ルージェンと呼んでくれ」