第四章  旅立ち前

死者の国へ旅立つ前の王族会議

 アザンは昨夜眠れなかった。

 王族会議で何が決められているのだろう。尼僧姿のルージェンが男である筈が無かった。ルージェンは王女に戻ってライモンと結婚するのではないかという考えが頭から離れなくなった。しかしルージェンは近く死者の国へ旅たつと言っていた。結婚式を挙げてから旅立った場合、死者の国から帰って来られなかったら、この国の世継ぎはどうなるのか。ライモンとの結婚の前に死者の国へ旅立つのなら、自分がお供をすればルージェンの傍に居られる。恋で盲目になっている今のアザンにとっては、ルージェンの居ない人生は考えたくなかった。

 朝食後で腹が満ちると、益々眠くなった。二限目が社会学になると、時々気が遠くなって、隣に座るアンシアがそっと、二回アザンの身体をつついた。しかし、旅回りで行った地域の話になると、アザンは身体を机に伏せて眠ってしまった。教師もアザンの地理の詳しさについては承知していたので、注意もしなかった。隣のアンシアも起こさなかった。

 社会学の教師が授業終了の声かけをした時にようやくアザンは目覚めた。

 アンシアがアザンに話かけてきた。

 「今日は西カリムの海岸沿いについての講義だったけど、あなたはそちらの方の生まれだと言っていたわね。だから起こさなかったけど」

 「ああ、アンシア、すみません」

 いつもは休み時間になると、口を動かして喋りだすか、体を動かして踊りだすアンジリーカが、早速数式に取り組んでいる。サミュンはアンジリーカの隣で静かに本を読んでいた。フリムは、いつものように、授業よりも詳しいことを問うために、教師の後を追って席を立っている。

 アンシアが言った。

 「アザン、少し話たいことがあるから、教室をでましょう」

 「はい」

アザンがアンシアの後ろへ付いて行くと、城の三階に造られた小さな庭園に面するピロティだった。二人は椅子に座った。何の話だろうかと訝っていると、アンシアが言った。

 「アザン、貴方らしくないわね」

また、いつも人の世話役に廻るアンシアが心配している。

「僕らしくないって?」

「元気がないわ。おまけに睡眠不足だなんて。私で良かったら、遠慮なく話して。話すと少しは気持ちが楽にならない?」

アザンは思わず笑ってしまった。

「アンシア、貴方は小さなお母さんみたいな人ですね。婚約者のバルモ王子に対してもそんな態度をとるのですか。いえ、貴方を妻にするバルモ王子は幸せだと思うから言うのです」

「バルモは体が弱いからもっと気を遣ってしまうわ。シェイン先生は、血族結婚のせいだと言うの。血が濃くなるとよくないのね。私とバルモも従兄弟同士だから二人の間に生まれる子も心配」

アンシアはそれだけ言うと、次はアザンの言葉を待った。

「アンシア、気を遣わせて申し訳ない。貴方にはこの城へ来てから、勉強のことも含めてお世話になってばかりだ。何かお返しをしたいのに」

「私は、最初にルージェンから貴方の面倒をみるように頼まれたの。授業についていけないだろうから、くじけてしまわないようにしてくれって。でも貴方は立派だった。卑屈にならず、明るくて。それに、文学の授業で貴方が創った詩、私大好きよ」

アザンは深い海のような青い瞳の美しい少女の優しさに心が癒された。

「アンシア、貴方は僕より四つも年下なのに何てしっかりしているんだろう」

「誉めて下さって有難う、アザン。私がしっかりしているのだとすれば、それは多分、正式に婚約式を挙げた12歳の頃から、毎年一年の四分の一はミシュナ国へ一人で行かされるようになってからだわ。ミュシュナの王宮は、誰を信用していいか神経過敏なくらいになってよく考えないといけないし、しかもそれを顔に出せない所だから。私が周りに気を遣えるようになったのは、バルモ王子の婚約者として自分の責任の重さが分かってからでしょう」

アンシアやルージェンが気高いのは、自分に与えられた責任から逃げないからだとアザンは感じた。

「私だって12歳までは今のアンジリーカみたいなものだったわ。その点ルージェンは7歳の時に双子の兄を亡くしているの。それからね、王子としての振る舞いが見につくようになったのは。アザン、私にお返しをして下さるのなら、お願いをしていいかしら」

「ええ、勿論。僕に出来ることなら何でも」

「ルージェンを支えてあげて」  

 「はい、僕は王子の役に立てるように、これからも僧院の仕事を続けていきますよ」

 「アザン、元気がないのは何故?」

 まさか、ルージェンを自分のものに出来ない悔しさで眠れなかったとはとても言えない。

 「ええっと、その・・・王族会議でどんな話をしているのかなと、気になって」

 アザンの要領を得ない答えに、アンシアは不思議そうに彼の表情を伺った。

 「つまり、この国の行く末とあなたに、眠れなくなるほどの関係が・・・」

 少し考えたアンシアは、心得たとばかりの表情で笑った。

 「アザン、ルージェンを信じてあげて。あの人は軽薄な行動で人を傷つけたりしない人よ」

 アザンは戸惑う。女性の会話はどうしてこう話が飛躍して何が言いたいにか理解できなくなるのか。どう答えたらいいのか考えていると、アンシアが言った。

 「王族会議をすることになったのは、この国にミシュナ国の干渉が強まっているせいもあるけれど・・・ルージェンが半陰陽だとか、まともな男ではないと、ミシュナの国にまでそんな噂が伝わっているからなの」

 少し沈黙した後アンシアは続けた。

 「もう隠すのは無理があるのよ。アザン、貴方も分かっているでしょう。ルージェンは男ではないわ。7歳の時亡くなったのは双子の兄のルージェン。でも、双子の妹パーシアが亡くなったことにして、それからあの人はパーシアの名前からルージェンに代わったの。アザン、貴方だからこのことは話すの。誰にも言わないと信じているから。父王と同じで、兄は生まれつき身体が弱かった。パーシアは兄に代わって、よく王子の格好で馬を乗り回していたから、王子の死を隠すことは出来たけれど」

 アザンの昨夜の自分の悪い予感は的中したと感じた。おそらく、ルージェンは王女に戻って従兄弟のライモンと結婚するのではないのか。

「貴方も知っている通り、来月がルージェンの18歳の誕生日。18歳の成人式に摂政のルゴス卿に代わって王として戴冠式を迎えるのかどうか・・・。でもルージェンは王になることは望んでいないわ」

 その時、回廊の方からサミュンが姿を現した。

 「アンシア、家政学の先生がいらしているわよ。アザン、貴方は剣術に行かないと」

 「有難う、サミュン、すぐ行くから、先に帰っていて」

 アンシアは立ち上がった。そしてアザンの顔を見つめて言った。

 「アザン、私が言ったこと、忘れないでね。一つ、ルージェンを支えてあげて。二つ、ルージェンを信じてね。三つ、双子の兄の死は誰にも言わないこと」

 アンシアは片笑窪がくっきり刻まれるくらい微笑んで去った。

 

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