第七章 帰還

死者の国へ行く前に城でサホン卿 マージルと話す

 「私の兄は、同じ部屋で眠っていました。朝、起きたら、兄は亡くなっていて、夜、多分父と同じ胸を締め付けられる発作を起こしたのでしょう。誰にも気づかれることなくたった一人で死んで行った。兄はよく私が外で乗馬をするのを部屋の窓から見ていた。兄が寝込んでいるのに、私は自分の楽しみしか頭になかった。兄が死んで、今でも思う。何故、死に選ばれたのが私ではなく兄だったのかと。でも、兄はまだいい。私の両親がとても愛してくれたから。アザン、貴方は僧院で、人を看取ったことがありますか」

 「いいえ、僕は経験ありません」

 「一年前、父王の従兄弟、ラルゴ様が亡くなった。貴族の称号はなくなったけれど、東カリナ海では、有名な豪商でした。持ち船の貿易船の難破が続いたり、事業が上手くいかなくなった後、身体に腫瘍ができて。豪奢な生活をされてきた方が、金貸しの取立てを怖れて、家族は一人も近寄ろうとしなかった。手紙をだしても、ラルゴ様の子供達は来てくださらなかった。ラルゴ様は、ひどい苦しみと衰弱の後、誰にも気づかれない夜に、一人で逝かれた。そんな方達が居ないよう、危篤の方がいる時は私も注意していますが、発見した時はすでに息がない方がいます。他に身寄りなく、自宅で死んでいた方も。人間は死ぬ時は一人でしょう、アザン。母が言いました。『お前は双子の兄と一緒に生まれてきたけど、死ぬ時は一人だ』と。誰にも愛されずに、看取られずに、死んでいく人のことを考えると、死者の国へ行く時は、私も一人で逝くべきだと思ったのです」

 「死者の国って・・・。ルージェン、貴方はそんな所があると信じているのですか」

 「わからない。ロリス僧長の話では、死者の国へ行っても、その記憶は魔術師によって消されるから。でも、私、死ぬ覚悟は出来ています。その時は、私も一人で死にます」

「僕は貴方の傍に居ます。そして、もし貴方が死ぬのなら、貴方の死に顔が見たい」

 「アザン、私の死に顔を見て、どうするの」

 「そうですね、ルージェン。起きないと貴方の顔に落書きしますよと言って、起こしましょうか」

 「貴方、馬鹿ね。アザン」

 ルージェンが涙で滲んだ瞳でアザンを見上げた時。

 「お客さん」宿の主人の声だった。「急な使いが来ているんです。隣の部屋の従者の方に知らせようとしましたが、いらっしゃらないので」

 ルージェンは急いでドアを開けた。良くない知らせ以外考えられなかった。宿の主人の横に、フリムが立っていた。

 彼の外套は、雨に濡れたままで、髪もまだ濡れて、金茶色の巻き毛が輝いていた。雨具もつけずに走って来たのだろう。

 ルージェンのドレス姿はフリムも初めてだったが、彼の美しい緑の目の驚きは、一瞬で笑顔によって隠された。

 「やあ、水もしたたるいい男、フリムの登場だね」アザンが言った。

 「やあ、アザン、僕の命の恩人。王子のお世話、ご苦労様。お二人で、さぞ、愉快な旅だったことでしょう」

 「その通りだよ」君が現れなかったらね、とまではアザンは言わなかった。

 フリムが濡れた外套を脱ぎながら言った。

 「間に合って良かった。もしかしたら、もう宿を発たれた後かもしれないと、急いで来ました」

 「フリム、その外套を乾かそう」

 アザンがそう言って、暖炉の前に衝立を持って行って、その上に濡れた外套を広げた。

 その間に、ルージェンとフリムはテーブルに座った。

 「珍しい料理ですね」

 「西カリムの料理だよ。もしお腹が減っているなら、食べるといい」アザンがそう言うと、「では有難く」フリムはルージェンの前で食べ始めた。

 「城で何があった?」

 ルージェンはすでにマントを羽織って、王子に戻っている。

 フリムは胸襟の間から、書簡を差し出して言った。「アンシア王女からの手紙です」

 

 

   親愛な友 フリム サミュン

 

 バルモによると、サミュンをミシュナの王立学院に講師として召喚して、ミシュナの貴族達に、シャリムの言語を教えてもらおうという動きがあるそうなのです。

 ナジェリ公爵が考えたことらしいのですが、行末はミシュナの貴公子とサミュンを結婚させる口実らしいわ。実際、近々、ミシュナの貴公子二人から、正式にサミュンへの求婚状が届くらしいのです。勿論、結婚の目的はサホン卿の一人娘の貴方を人質にとることです。

 サミュン、例えば、お父様のサホン卿に頼んでシャリム国へ留学する名目で断れないかしら?どうかサミュン、貴方が無事に逃げることが出来ますように。

 フリムも力を貸してくれる筈です。

 

                        忠実な友 アンシア

 

 

 フリムは余程何も食べずに馬を走らせてきたのか、食べ続けながら言った。

 「サホン卿はすぐに、故国のシャリム国へ、娘のサミュンを医学の勉強のため、留学させたいと、シャリム国王へ書簡を出しました。サホン卿は、王子の貴方には知らせないようにと、ご自身で対処すると言われましたが、王子、貴方もサホン卿の力になりたいでしょう?後からこんなことを報告されたら、貴方も辛いと考えて僕は参りました」

 「有難う、フリム、サホン卿は父王亡き後、ルゴス卿と共に、この国を守って下さった方です。すぐに城へ帰ろう。アザン、お前も用意をしなさい。フリム、道中大変であったろう」

 「僕はアザンと違って、原野の中では迷ってしまうので、遠回りになっても、モルドーから西カリム海へ出る街道沿いに来てから、この漁村に辿り着きました。途中の宿場町で早馬に乗り換えながらね」

 清算をすませ、世話になったベイラに挨拶をして三人は馬を走らせた。

 道案内のアザンが、近道の草原を先に馬を走らせた。日が暮れる頃には、ルージェンとアザンが来た時に泊まった農家がある村も過ぎた。15分だけ、馬に水をやり、休めただけで、闇が降りる頃には、モルドーへ通じる街道へ出た。

 この時、アザンが馬を止めて、ルージェンの方を振り返った。

 「僕はここで。この街道を南へ下って行くと、モルドーの城へ着く筈です。北へ向かえばナイジリへ行きます。ルージェン、僕を先にナイジリへ行かせてもらえませんか」

 「アザン、お前も城へ帰りなさい。マージルも待っているのに」

 「いえ、申し訳ないのですが、旅回りをしていた頃、父のように良くしてくれた男が退団後、ナイジリで暮らしているのです。久ぶりにゆっくりと会いたいのです」

 ルージェンの悲しい表情を見ても、「王子、ナイジリでお待ちしております。フリム、後を宜しくお願いします」アザンはそう言って、北へ一人馬を走らせて行ってしまった。

 

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