第五章  嵐

死者の国について話し合う二人

 街道沿いの村で朝の仕度をする女達を見る頃には、最初の宿場街に着いた。二人は茶屋に入って、朝食を摂ることにした。この街で見る旅人は、西カリムの海産物を仕入れに行く商人が多かった。

「ルージェン、何か気にかかることでもあるのですか」

食事が運ばれてくる間、対面して座ったテーブルで、アザンが心配そうな表情でルージェンを見ている。アザンに対して緊張している様子が感じとられたようだ。ルージェンの中で、アンシアが言った言葉が気になっていた。

・・・アザンは夜も眠れないくらい貴方に夢中よ。

少し躊躇したが、彼女はアザンに話し出した。

「実はアンシアにかまをかけられた」

「どんな?」

「アザン、お前、最近、アンシアと何を話した」

「そう言えば僕も、アンシアに、唐突に言われたことがあります」

「何だ?」

「一つ、貴方を支えるように、二つ、貴方を信じること」三つ目は、誰にも言ってはいけないことだったっとアザンは思い出し、目をくるんと廻し、「それだけです」と言った。

ル-ジェンのブルーグレーの瞳がアザンを見つめて言った。「お前は嘘をつくのが下手だ」

「嘘?」

「さっきお前の視線が動いた。まだ何か隠しているな」

「いや、ルージェン、実は僕もアンシアに言われたことは具体的に何を意味するのか、わからないのです。貴方に仕える僕が、主人である貴方を支え、信じるのは当然のことなのに」

「まあ、いい。アンシアが言ったことは気にするな。それに私達は友人だ。私に過ちがあれば、正すのが友人だ。それより、お前に僧院の仕事を頼んだ際、注意したこと、覚えているか」

「はい、隠し事はしない、自分一人で判断せず、常に報告して相談すること」

「そうだ、もし私達二人が勝手な過ちを犯していて、それを互いに隠していたら、過ちを正すことは出来ない。二人で旅に出るのだから、私達に隠し事はなしだ」

頷いてはみても、内心アザンは思った。

目の前の旅装束の青年は、女だ、これは二人の間の公然の秘密なのだ。

  馬の乗っている二人に、西北の氷河に覆われた遠い海から冷たい風が吹いてくる。冬へと向かう季節にしては珍しく晴天が続いていた。昨晩泊まった農民の家で水を補給したとはいえ、水筒の水も底をつきかけ、馬達も疲労していた。ルージェンが言った。

「日が暮れるまでには、魔女が住む漁村に着きたいものだな」

 西カリム海に近づくにつれて氷河からの寒風は強くなって来た。

 朝、アザンは天の様子を見て、もう一晩農民の家に宿泊すべきだと言ったが、ルージェンは目的の漁村を目指して急ぐことにした。

昼頃から日差しは蔭り、雲の流れは早くなった。灰色の雨雲が立ちこめてきた。雨が降って来た。広い草原の彼方には遠雷が走っているのが見えた。

二人は雨具を着たが風と雨は激しくなり、フードで隠しても髪はずぶ濡れになる。視界が見えなくなってきたので、道案内のアザンが先に馬を進めた。時に後を振り返ると、ルージェンは馬の背に上半身をやや前屈させている。疲労が激しい様子だった。アザンは灰色の雲と雨が横に流れていく草原の中で、昔の僧院跡に近辺の農民が農作業の合間の休憩に使っている、石で積まれた小さな小屋を見つけた。

時は午後の三時過ぎ、西カリムの海辺には10キロ離れた所まで来ていたが、アザンはルージェンに声をかけた。

「ルージェン、今日はここで休んでいきましょう」

返答はなかったが、アザンは小屋の前で馬の背に顔を埋めているルージェンの傍へ寄り、馬から降りるのを手伝った。支えた身体が小刻みに震えているのに気づき、アザンがルージェンの額に手を当てると、汗ばんで熱があった。アザンは抱えるようにして小屋の中へ入れた。小屋の中は農民が休むときに使うのか、農具と、家畜が休む藁と囲炉裏と井戸があった。

馬二匹を入れると、ルージェンの介抱にかかった。

「何故こんな熱が出るまでに言ってくれなかったんですか。もっと早くに薬草を飲んでいればひどくならなかったのに」

ルージェンは閉眼したまま、声も出さず、仰向けで濡れた身体のまま倒れている。アザンは火を起こした。ルージェンの濡れた服を脱がそうと首元の金具に手をかけると振り払われた。「お前の世話にはなりたくない」

長く二人だけで旅をすると、ぶつかり合うことがある。

アザンも疲れていたので、少し皮肉っぽくなる。「これ以上ひどい状態になるともっと手がかかるのに。貴方は甘やかされた王子じゃないんでしょう」

アザンが旅の装備の中から濡れるのを免れた寝袋を二つ取り出すと、ルージェンがその一つを奪うように手に取った。そして、囲炉裏の火が届かない小屋の隅の暗闇で濡れた服を着替えて、寝袋に包まった。アザンも濡れた服は脱ぎ捨てて、裸の上から寝袋に包まった。ルージェンの服と自分の服を井戸の水で洗いながらアザンは言った。

「今朝言ったでしょう。貴方は疲れているみたいだし、嵐がくることはわかっていた。もう一晩、農夫の家に泊まるべきだったんだ。私を連れて来たのなら、何故私の意見を無視するのですか」薪を組んで、焚き火の周りに服を吊るしながらアザンは声をかけた。「ルージェン、身体を冷やすから、そんな所に居ないで囲炉裏の傍に来て下さい」

「お前が、囲炉裏の反対側へ廻ればそこへ行く」

「最近の貴方は不機嫌で私の言うことを聞こうともしてくれない」

「お前一人農夫の家に泊まれと言っただろう」

「そんな訳にいかないのはわかっているでしょう。貴方ははわがままな人だ」そう言いながらもアザンはルージェンの不機嫌な理由が分かっているので内心ほくそ笑んでいた。

旅の装具の中から解熱剤を取り出すと、囲炉裏の近くへ来て横になっているルージェンの傍へ廻り、彼女の上半身を持ち上げて解熱剤を飲ませた。

飲み終わるとルージェンが言った。「私のお守りなんかせず、農夫の可愛い娘と一緒にいればいいんだ。昨日喉がおかしかったから、お前に薬草を貰おうと思ったのに、お前ときたら農夫の娘と一緒に厨で過ごして」

「薬草が少なくなってきていたから、煎じていたのです」

「お前とあの娘が仲良くする所なんか見たくなかった。お前なんか、あっちへ、行け」

 ルージェンは熱で自制心がとれなくなっていた。

こんな狭い小屋のどこへ行けというのか、しかし、アザンは、昨日農夫の娘と仲良くするのをルージェンが内心面白く思っていないのを知りながら楽しんでいたのだ。

焚き火に照らされて二頭の馬が大人しく藁の上で蹲っている。ルージェンの愛馬はブルトー、白馬の少し気が荒い雄馬だった。アザンの馬は茶褐色のフルー、大人しい雌馬だった。アザンは毛並みにブラシを当てながら、乾いた布で馬を拭き始めた。それが終わると、井戸水を二頭の馬に飲ませた。馬の世話が終わると、外の雨風の様子は前よりは収まってきたようだった。囲炉裏のそばで寝袋に包まっているルージェンに目をやると、よく眠っていた。そっと額に手を触れると、汗ばんでいるが、先ほどよりは熱が下がっていた。彼女を起こさないように、汗を拭きながら、こんなに人間として自分と変わらない人を、エルマー国王子として内心畏怖の思いで自分とは関係ない存在だと遠目にみていた時があったのが不思議だった。

眠る彼女の白い頬と柔らかい唇に触れたかった。この小さな小屋で、身分の違いのない男女として暮らせたらどんなにいいかと夢を見る。

小さく囁く声でアザンは歌った。

 

 貴方は私のもの、誰にも渡したくない。遠くへ行ってしまわないで、必ず私の元へ帰って来て。一緒に暮らせなくてもいい。貴方の姿を見ることが出来るのなら。触れることも許されない高貴な人よ、遠くへ行ってしまわないで、必ず私の元へ帰って来て。貴方を知った喜びと、貴方を失う悲しみを私は知った。どうか遠くへ行ってしまわないで、必ず私の元へ帰って来て。

 

 吹き出す笑い声と共に、「お前は音痴だな。楽器は上手いのに」寝たふりをしていたルージェンが言った。笑い続けるルージェンに、アザンも苦笑するほかなかった。とりあえず、ルージェンは回復してきたようだ。「ひどいな、起きていたんですか」

 ルージェンは、そうでも言わないと照れくさかったのだ。