翌朝、アザンは少し寝過ぎたようだ。テントから出ると、他の皆はすでに食事を始めていた。急いで朝食に取り掛かると、レクスが近づいてきた。
「アザン、今朝早く王子が来たよ。昨日の病人は熱が下がったようだ」

 アザンは食べるのに忙しくて無言だ。

 「実は王子からお前を僧院で使いたいと希望があった。金100万とダラッタと引き換えだそうだ。この金で楽団には、お前の代わりになる者を雇って欲しいと言われた。お前はどう思う?俺はお前の意見を尊重するよ」

 「金100万ダラッタあれば、俺程度の人間は替えがきくよ」

 「お前はいいのか?でもお前にとっては悪い話ではないと思う。お前に午前中は城で学問をつけさせ、午後から夕食までは僧院の仕事を手伝うという条件で、給料も、一月に金10万ダラッタ出すらしい」

 「えらく見込まれたんだな、俺は」

「お前が好きな音楽も、病人や子供達に聞かせてやって欲しいそうだ。お前がここに残りたいのなら、新しく魔女と音楽師を二人探して雇うよ」

 アザンが考え込んだ時、ルージェン王子が話し合っている二人の方へ歩いてきた。身に着けた銀色の鎖帷子が朝の日差しで輝いていた。アザンと対面すると、ルージェンの顔は頭半分下にあるが、威厳があった。

 「アザン、昨夜はご苦労であった。私達にはお前の力が必要だ。僧院では、そなたくらい薬師を補佐できる者がいない」

 レクスと目を合わせた後、アザンは、

 「話は聞きました。私で良ければ喜んでお受けいたします」穏やかな笑顔をルージェンに向けて言った。アザンの髪は陽の光に照らされてもカラスの羽のように漆黒で、瞳も黒かった。最初見たときのおどおどした印象はもうなかった。

 朝食やテントの後片付けが済んで、楽団員が一人一人、アザンに別れの挨拶に来た。

 レクスに金を渡し、アザンと供に音楽隊が出発するのを見届けた後、ルージェンはアザンを城の中へ案内した。

 「城の朝食は6時半からで、7時から勉強が始まる」

 9時を過ぎた時刻で、すでに授業は始まっていたが、王子は従者を呼んで、アザンに湯を使って、着替えを勧めた。アザンが身体を洗ったのは、一週間前に泊まった宿場町の宿以来で、それから今日まで、野宿暮らしだった。

 こざっぱりとした新しい服を与えられ、着替えると、王子が待っていて、二人で城の三階へ上がると、窓から田園風景が広がる、見晴らしのいい部屋に着いた。

数学の時間のようで、アザンには理解出来ない数式を教師が板書していた。席に座っているのは、昨日の王女、アンシアとアンジリーカ。後一人、アンジリーカと同じのような金色の髪をまとめた少女がいた。アザンが驚いたことに、その少女の肌は、異国の人間みたいに褐色だった。茶色の瞳で、年の頃は二人の王女と変わらないが、きゃしゃなアンジリーカと違って、身体は成熟した女性として豊満な曲線を描いていた。

 アザンとルージェンは授業の邪魔にならないように、最後列の席に座った。手を上げて、アンジリーカが前へ出て、教師が書いた数式の解を楽しそうに書き出した。

 アザンは、旅回りの生活のせいで、学校へ行ったことがない。文字を書くことと、簡単な計算くらいしか、養母のマージルから学んでいない。アザンの緊張を悟ったルージェンが言った。

 「案じることはない。教師には、そなたには授業の進行には関係なく、基礎から個人的にみるように言ってある」

 「さすがアンジリーカだ。君の数学の才能は素晴らしいよ」教師が誉めると、アンジリーカは白い頬を紅潮させて、嬉しそうに笑った。

 「では今日の宿題」教師が三つ数式を板書し出した。鐘が鳴った。「皆、明日までに解いたものを、アンシアから順に授業が始まるまでに黒板に書いておくこと」教師が出て行くと、アンシアが前に座っているアンジリーカの背中をつついた。

 「後で、宿題見てね」

 アンジリーカが姉の方を振り返って言った。「いいわよ」それだけ言うと、三人の少女は興味深そうにアザンを見た。

 ルージェンが言った。

 「こちらはアザン。音楽師だが、今日から僧院の手伝いをしてもらうことになった。アザン、アンシアの隣に座るといい」

 アンジリーカは、褐色の肌の少女と並んで座っていて、アンシアの横は空いていた。

 アザンは二人の金色の髪の少女達の後姿を見ながら、席に座ると、アンシアがアザンに笑いかけた。彼女が笑うと、赤い唇の横の白い肌にえくぼが刻まれた。

 「フリムを助けてくれたそうね。有難う、アザン。よろしくね」

 アンシアが海のような瞳で見つめると、誘い込まれるようなあだっぽさがあった。

 アンジリーカは無邪気で自分の感情に素直な王女だった。もう一人の金色の髪の少女は大人しく、しきりに話かける隣のアンジリーカのお喋りを微笑を浮かべて聞いている。

 次の授業は地理の授業だった。最前列に座ったルージェンの隣の席は空いていた。教師がエルマー国とその周辺の地図を描いた。エルマー国は三日月のような形をしている。エルマー国と大陸の間を阻むようにして、隣国のミシュナ国がある。

 「ミシュナ国はお母様の祖国よ」休み時間になると、アンシアがアザンに言った。「毎年私たちは新年になるとミシュナ国へ挨拶に伺っていたの、昔はね」

 大陸の方には、シャリム国とジェンナ国があった。大陸の方で広大な権力を握っているのはシャリム国だ。

 「ジェンナ国からはルゴス卿の妃が嫁いできているわ。シャリム国からはサホン卿が。サホン卿はサミュンのお父様よ」

 褐色の肌に金色の髪の少女はサミュンといって、ルジン王の姉アザリア王女の義理の娘だった。

 ルゴス卿とは、ルジン王の弟で、王亡き後はルゴス卿が摂政としてエルマー国を動かしていた。

 

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