とりあえず、ふてくされていたルージェンの笑いを聞けて、アザンも笑うしかなかった。ルージェンは囲炉裏の火に照らされて寝袋に包まれて横たわっていた。アザンは焚き火の火を絶やさないように囲炉裏の傍に座っていた。小屋の外で強い風が吹き渡る音がする。

 「上の屋根が吹き飛んで、雨風が滝のように入り込んできたらどうする?」

 「出来ればそれは、もう少し後、夜が明けてきてからにして欲しいですね。屋根が吹き飛んだら、貴方を石柱にくくりつけて、その上から僕の体を巻きつけて嵐が過ぎるのを待つしかありません」そう答えてからアザンが続けた。「ルージェン、一つ、聞いてもいいですか」

 「何だ。質問によっては答えないぞ」

 「貴方が何故死を賭けてまで死者の国へ行こうと思ったか、聞きたいのです」

 「幼い頃、アザリア伯母に付いて病人の家を訪ねた。病人は皆私を優しく迎えてくれた。私は病人達の哀しいけど優しい目が好きだった。彼らの役に立ちたかった。特に、不治の病で癒せない痛みに苦しむ者達の存在は、何故彼らが苦しむのか、不当だと思わざるを得ない。アザリア伯母が死者の国から帰って来られなかった時、私は12歳だった。それからいつも考えていた。アザン、お前はどう思う?どうすれば死者の国から帰って来られるだろうか。亡きアザリア王女にとって死者の国は安らかなものだったと聞く」

 「生きていくには強い生命力が必要でしょう。でもそれは、ごく自然なもので、人が目覚めた時感じる喜びや楽しみではありませんか。死の国から帰りたくない人の気持ち僕はよく理解出来ません。僕だって死にたいと思ったことはあります。けど、自ら命を絶つ勇気はありません。一度、首をくくろうとしたことがあります。その時僕が感じた死とは・・・圧倒的な絶対的な孤独に感じました。自分が、小さな闇の中に永遠に閉じ込められるような感じでした。生きていれば、人と関われる、人との絆があるのに」

 「アザン、私は寝る時、このまま眠れるように、死ねたらどんなに楽だろうかとよく考えた。癒しの技術をこの国に持ち帰るよりも、本当は、自分の立場から逃げ出したかったんだ」

 アザンは笑った。「死者の国から帰っても、もう貴方はこの国の王子ではない。アザリア王女のように、病人を癒す仕事がしたかったんでしょう。貴方は自由の身です」

 「そうだな、アザン」

 「お腹は空きませんか」そう言って、アザンは旅の装備の中から、パンと燻製にした肉を取り出した。「私はいらない」ルージェンが断ると、アザンは食べ始めて、鳴いて気を引く二頭の馬にも食物を与えた。

 「アザン、お前の夢は?よければ教えて欲しい」

 「夢なんてありません。僕達庶民は生活していくだけで毎日が精一杯です」

 ルージェンはアザンの表情を見て謝った。「すまなかった」

 「でも、貴方から毎月安定した給料を戴けるようになって、希望が持てるようになりました」

 「どんな?」

 「普通の生活がしたいですね」

 「お金を貯めたら、妻を迎えて子供を育てる、それが希望です」

 「お前は子供が好きだから。楽団にいた頃、気の合う女性はいたのではないのか」

 「まともな娘なら楽団には入ってきません。僕が子供の頃は女の仕事といえば、家事か男の仕事の補助か、魔女か売春婦くらいなものでした。それが、ルジン王の改制で女も男と同じ仕事に就けるようになった。それでもまだ、旅廻りの楽団に若い女が入ってくるなんて余程の事情がなければありません」

 「何故」

 「旅廻りの楽団は街や村で演奏するだけではないのです。金持ちの商人の家に呼ばれることもあります。そんな時、若い娘がいたら売春は避けられない。高貴な客の申し出を断ることは出来ません。僕だって幼い頃は、大商人と寝るように言われたことがあります」

 「売春は法で禁止されているのに」

 「ルージェン、僧院に入って来たミカルも、僧院へ連れてくる人がいなかったら、売られていたこと、御存知では」

 最近、ミカルという8歳の家族のいない少女が、人身売買の組織に売られる所を見かねた町人に僧院へ連れて来られたのだ。

 「すまない。アザン、私は世間知らずだ」

 しばらく二人の間で沈黙が続いた。

 「私が死者の国へ行くと決まった時、文学の先生が皆にどうしたら、死者の国から帰って来られるか、意見を求めたことがあった。その時、フリムが言った意見が印象に残っている」

 「フリムは何と言ったのですか」

 アザンは自分より三つ年下ながら、女性を魅了し、男性からも一目置かれるフリムに嫉妬を感じた。アンジリーカがフリムを慕うのは諦めがついたが、ルージェンがフリムをもし慕っていたら、アザンの心は嫉妬で噴きあがりそうになる。

 「フリムは生と対極のものとして死を捉えれば、死の国から帰って来るヒントがあるのではないかと言っていた。さっき、お前が言っていた人との絆もそうだ。死が絶対の孤独だとしたら、生には人との関わりがある」

▲へ