夜になった。今夜はアザンにとって特別な日。母のマージルに付いて初めてモルドーの街の居酒屋へ出掛けて行った。

 王子に付いて西カリムの魔女の所へ行くこと、死者の国へも一緒に行きたいことをマージルに伝えた。マージルは言った。

 「お前が幸せならそうしたらいい。だけど、絶対帰ってくるんだよ。あたしの老後の面倒を看るのはお前なんだからね」

 「母さん、育ててくれて有難う。今日は僕にとって今までの人生で最高に幸せな日だ」そう言って、アザンは普段飲まない酒を飲んだ。

 

 城では狩から帰った男達が、中庭で丸焼きにした猪を囲み、酒を飲み交わし、今日始めて狩の指導をしたルゴス卿の手腕を讃え、歓迎の祝宴を開いていた。

 フリムは焼けた猪の肉を切り分けていた。ルージェンは若者達と大声で話し合っているライモンの傍へ行った。

 「ライモン、話があるんだ」

 「おお、ルージェン、モルドーのワインは変わらず美味いな」

 すでにライモンは少し酔っている。

 「ライモン、今夜の宴に澄まないが、急ぎの話なんだ。出来れば人に聞かれない所で」

 二人は他の者が注いでくれた杯を手に、人の輪から離れた場所のベンチに座った。

 「はあ・・・少し寒くなってきたな。酔いも醒めてちょうど良い。どうした、ルージェン・・・アンシアをミシュナへ嫁がせるのは辛いだろう、可哀想に。いつまでもミシュナ国のいいようにされないよう、ミシュナの海域を通らずとも、ジェンナやシャリムと貿易が出来る航路を探すのが急務だな」

「貴方の父上、ルゴス卿には長年摂政として、又、この国の守りの宮として務めて下さったこと、感謝に耐えません。そしてライモン、貴方が次代の王となることに、私は自分の器のなさを情けなく思っています」

 ライモンは声を低くして話し出した。

「王としての器というより、ルージェン、貴方の気質の問題だろう。私は貴方を男らしいと思ったことは一度もない。無論、貴方の弓術には勝てないがね。貴方は長年王子の姿をして王子としての務めを果たしてきたけど、本来母性的な愛情を豊かに持っている人だ。それは、立場の弱い人に向けられる。病人、子供、老人。男らしいといえば、ドレスを着ていても、アンジリーカの方がよほど少年みたいな気質を持っている。狭い行動範囲では満足できない冒険心、好奇心、勇気。自分を前に出していく気概・・・。あの子なら、もし愛しい男が死んでも一人で強く生きていけるだろうね。今はフリムと結婚することを夢見ているようだが。可愛いな、あの子は」

「貴方はアンジリーカのことをよく理解している、ライモン。それだけアンジリーカのことを考えてくれているのでしょう。父上のルゴス卿から聞きました。ライモン、貴方の船室にはアンジリーカの肖像があるとか」

ライモンは何も言わず、彼の口元には自嘲気味の笑みが浮かんでいる。ルージェンは構わず話を続けた。

「亡き父上は、アンジリーカが男だったら良かったのにとよく言っていました。彼女の負けん気の強さや、物怖じしない性格。どれも私にはないもの。あの子は直系の王族にふさわしい子です。そしてこの国を守って、アンジリーカを導けるのは、ライモン、貴方しかいません」

「何度も言うけど、ルージェン、私はアンジリーカの女性としての幸せを国のために犠牲にするのは納得出来ない」

「ライモン、妃はどうするつもりなのですか、世継ぎはどうするつもりですか」

「だから前からプロポーズしているでしょう、ルージェン。私はもし貴方さえ良かったら妃になって欲しいと思っているのです」

「何回も言わせないで下さい、ライモン。王とは孤独で厳しい選択を迫られるものです。王子として過ごした私には、その責任の重さが少しは理解出来ます。そんな時貴方を癒せるのは、明るいアンジリーカの笑顔でしかないこと、私は知っています。私には明るさが欠けていますから、二人して暗くなっても困るでしょう。ライモン、自分の心を偽って結婚することはありません。その年まで独身だった貴方の心を満たせるのはアンジリーカしかいないでしょう」

ライモンが静かに笑い出した。

「貴方にまで振られるのですか、ルージェン。アンジリーカは私を夫として迎えたくないでしょう。彼女は好きな男と結婚すればいい」

「ライモン、貴方にとってアンジリーカが優先されるのは分かるけれど、では、私はどうなのですか?政略結婚ではあっても、アンシアはバルモを愛している。私は・・・私の気持ちは考えたことがあるのですか、ライモン」

ライモンは驚いてルージェンを見た。

「貴方から、そんな女みたいな台詞を聞くとは・・・あ、いや、失礼。ルージェン、君に好きな人がいるなんて考えたこともなかった。私達には自分が望む相手と結婚するなんて、そんな選択肢はないから、私達の立場はそういうものだから。まさか、君が・・・相手は誰?」

「そんなことはどうでもいいことです。私はいずれ王族を離脱する身ですから。さあ、母上の所へ行きましょう、ライモン」

「え?」

「私の母も、貴方の母上も、貴方との話を望んでいるのです」