午後、僧院へ顔を出したアザンにマージルが聞いた。

 「二日酔いの王子はどうだね」

 「さあ、授業に出て来てないから、王族会議が続いているんだろう」

 今日はアザンが薬を届ける日だった。アザンが持って行く物を薬袋に入れている時、尼僧姿のルージェンが傍へ歩いて来た。

 「アザン、私も一緒に行きます」

 「え?」 

 「薬を届ける仕事だ。私は始めてだから、教えてくれ」

 「はい、王子」

  薬を届けに行く所は一人暮らしの老人の家が多かった。薬を三人の家に届けてから、最後がマリメラ婆さんの家だ。息子夫婦は東カリナの貿易が盛んな港街へ働きに出てしまっている。マリメラは服を仕立てる内職を家でしていた。マリメラは今まで薬を届けに行った家人のようには礼儀正しくもなく、気難しい人だからと、ルージェンには警告した。

 「マリメラさん」

 街の広場に面したレンガ造りの家の戸口でアザンが声をかけた。

 ガラス戸の向こうにマリメラの顔が映った。

 「アザン、待ってたよ、お入り」

 戸を開けてくれて、アザンの傍に立つ、尼僧にしては背が高いルージェンに気づくと言った。

 「おや、この尼僧は見ない顔だね」

 「新しく入ったんだよ」

 「ルーと言います。マリメラ様、宜しくお願い致します」

 王子がしおらしく、頭を下げる。

 「息子夫婦が先週来てね、異国から輸入した茶を持って来たんだ。今、入れてやるよ」

 「すみません、お気を遣わず」

 ルージェンが言うと、

 「あんたのためじゃないよ、アザンに飲ませてやりたいんだ。ま、あんたも一緒に付き合ってもいいけどさ」

 「うれしゅうございます、マリメラ様」

 王子は殆ど演技楽しんでるな、とアザンは思う。

 二人はマリメラの、小さいが清潔に手入れがされている台所へ案内された。

 マリメラは湯を沸かす用意をしながら言った。

 「菓子はそのテーブルの上にあるから、好きなのを取っていきな」

 ルージェンがテーブルの上の菓子鉢を見ると、リボンで結ばれた紙包み入りの焼き菓子に、カードが付いていた。ルージェンが手にとってカードを開くと、「マリメラ婆さん、診察日は僧院へ来て下さると僕は嬉しいです」と汚い字で書かれてあった。この汚い字は・・・と、隣に座るアザンを見た。アザンは照れたように笑っている。アザンの筆跡だ。

 「これはどうしたんですか」 

 アザンに聞くと、子供達に焼き菓子を作らせて、カードも書いたのだと言う。しかし、まだ字を書けない子供も中にはいて、そのせいで、このカードはアザンが書いたのだと言う。

 「わたくし、これを戴いてもよろしいでしょうか?」

 ルージェンがカード付きの紙包みに入った焼き菓子を手に取って、ポットに湯を注いでいるマリメラに尋ねた。

 「それは駄目」

 「まあ、残念です」 

 小声でアザンが言った。

 「作り方は簡単ですから、帰ったら作って差し上げますよ」

 ルージェンも小声で返した。

 「馬鹿、食べたいから欲しいんじゃない」

 それなら何故とアザンが聞こうとした所で、ルージェンが質問を変えた。

 「ところで、マリメラおば様、今日はお願いがあって参りました」

 「おや、なあに」

 マリメラが異国の茶をカップに入れて運んできた。マリメラに礼を言ってから、ルージェンが茶を飲んで言った。「素晴らしい香りですね」

 アザンにはややかび臭いような感じがしたが、ルージェンは笑みを崩さない。マリメラは二人の傍に座って裁縫の続きを始めた。

 「マリメラおば様、シェイン先生が大変心配しています。眼の病気は進みますので、二週間に一回は僧院の診察に来て下さらなくては。薬を届けるだけでは、眼の様子が正確にわかりません。裁縫が出来なくなってもお困りでしょう」

「そうさね、でも、最近は足腰も痛くて、僧院まで行くのが大儀でね」

「でも、少しくらい無理をしても散歩くらいなさらないと、益々足腰が弱ってしまいす。どうぞ、シェイン先生が待っていらっしゃるので来て下さい」

「じゃあ、僧院まで行こうかい。ただし、どうだい、ルー、あんたの婚礼の衣装を縫わせてくれるかい?」

「わたくしの?」

 ルージェンは驚く。この時代、尼僧にも結婚する自由はあった。

「わたくしは今のところ、結婚の予定がございませんので」

「まだ若いからそんなことを言っていられるんだよ。どんな男が好みだい?世話してやってもいいんだよ」

 「そんな・・・」ルージェンが口を閉じた。アザンは馬鹿らしくなった。何人もマリメラの家を訪れた尼僧達は婚礼の衣装を縫う約束をさせられている。

 ルージェンが言った。

 「そうですね、わたくしは優しい殿方が好きでございます」

 「優しいって・・・」マリメラがアザンの方へ目を移した。

 「この子も優しいけどね」

 「マリメラ婆さん、失礼だよ」

 アザンは慌てて言った。

 「何赤くなってんだ、お前」

 マリメラに指摘されるくらいアザンの頬は紅潮している。傍に座るルージェンはそんな様子を口元に笑みを浮かべて、面白そうにすました顔をしていた。

 

 

 マリメラ婆さんの家から出るとルージェンが言った。

 「帰りは私が馬を引くから、お前は後ろに乗りなさい」 

 ルージェンが荷馬車の前に座って馬を速足で動かした。

 澄み渡った空の青と、麦畑の黄色が地平線で二色に分かれていた。

 「アザン」

 馬車を動かしながらルージェンが声をかけた。

 「何か弾いてくれないか」

 「何か希望の曲はございますか」

 「何でもいい、お前が好きな曲を」そう言ってルージェンが笑った。アザンは今日初めて王子が笑うのを見た。

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